●旅レポート 中国:大連・旅順・瀋陽うたごえ交流の旅・・・充実した6日間でした!!
―2008年5月24日〜29日―
餃子事件・聖火リレー・四川省大地震・・・様々な問題の飛び交う中での27名のツアーでした。ほとんどの方が、旧満州で生まれたとか育ったなど、何らかの思いを抱いて参加するということでした。旅を通しての思いは、音楽の持つ力で、ささやかながらも日中の文化交流に貢献できたということでしょうか。
大連到着の夜には、月2回開催されている「うたごえ」に参加。仕事の関係で大連に駐在している方や地元の方なども含めて40数名で2時間、『東北地方の子守唄』という曲が歌唱指導されていました。
旅順には、日露戦争当時の要塞の一部が残されています。冷たい石組みの中で息を殺していたであろう何万人の兵士たち・・・この要塞を造る為に徴用されたであろう中国の人々・・・様々な思いが巡りました。
大連で交流した合唱団の皆さん方、恐らく60~70歳と思われるが、舞台衣裳を身に纏い美しいメイクを施し、本当に楽しくてたまらない!!と全身で表現しながら歌い踊るのです。私達も「マンマ」「初恋」「花」「北国の春」と歌い交わし、「ドレミの歌」は予想以上に盛り上がりました。
瀋陽へは電車移動で4時間。グリーン車指定席の為、よくある旅番組のように地元の人々との触れ合いはありませんでした(残念!)が、ツアーの方々とじっくりお話したり、車窓に広がる中国の大地を眺めることに。
瀋陽は満州族の都でもあったところ、北京に都が移ってからも影響力は強かったとか。広大な陵(北陵公園の門を入ると昭陵までのカートが走っていて、さらに昭陵の入口から延々と歩く・・・)や、瀋陽故宮(北京故宮ほど広大ではないが)を歩いていると、当時の権力者の力がまざまざと感じられました。公園の中で歌っていたグループと交流を持つことになりました。リーダーはジャージ姿の一見普通の女性だが、歌いだすと素晴らしいソプラノで次々に歌ってくれました。伴奏は二胡と横笛(この二胡を演奏していたお兄さんが素晴らしいバリトン)。我々も桃ちゃんのアコ伴奏でたくさん歌いましたよ。
瀋陽で交流した合唱団は、とってもレベルが高くて真摯に指揮者に向かう姿勢が美しい!建物に「遼寧省 老干部活動中心・大学」とあったので尋ねたところ・・・中国では50~55歳定年制だが、一人っ子政策の為に孫のめんどうを見るというようなことは必要ないし、年金も保障されている。いきおい、個人の趣味を高める活動に力を入れるのだそうです。この建物も、合唱団の他に、書・絵・踊り・・・様々な部屋がありました。
そういえば、早朝6時に北陵公園を歩きましたら、扇を持っての踊り・太極拳・縄跳び・足羽根突き・ラテンダンス・社交ダンス・リズム体操・・それぞれに何十人というグループが数え切れない程、公園のあちこちで勝手に活動している!?
夕方から夜に掛けても、同じように踊り歌う人々が広場に溢れているのです。
その中のひとつ、夜間に自然発生的に集まる「うたごえ」の集団(数百人!!)に、我々も飛び込みで参加しました。言葉が通じない不安もあったので、輪の外側のほうで「カチューシャ」「モスクワ郊外の夕べ」などを一緒に口ずさんでいたら、輪の中心に押し出され、マイクを持って歌わされた次第!「北国の春」「草原情歌」「ソーラン節」「海は故郷」etc・・・合間には、民族衣装を着けた小柄なおばさんが踊ったり・・・ここの伴奏はハーモニカと横笛、リーダーは女性の方。「お国の歌を歌って・・・」と促され「ふるさと」を歌い出したら、6歳くらいの女の子が一人輪の中に出てきて歌に合わせて踊り始めるではありませんか!これには私達も感動してしまいました。
今回の旅は、ともしび店のお客様の米山さんが長年あたためていた企画でした。一緒に旅するうちに、米山さんは30年以上に渡って中国人留学生・研修生の受け入れやお世話など、私財を投じて民間交流をなさってきたことがわかってきました。それを顕彰されて、中国:鉄嶺省名誉市民第一号なのだそうです。常に笑顔を絶やさない米山さんの、強い意志を感じた旅でもありました。
帰り路に「日本人の我々をこんなに温かく迎え入れてくれて、これまでの胸の痞えのようなものが少し軽くなった思いです」と語る70代のツアー参加者の言葉が胸に沁みました。
* 四川省地震の後ということもあり、楽しみにしていた「アカシア祭り」は縮小、何度か行われた合唱交流・レセプションは、先ず「黙祷」から始まりました。しかし、音楽が人々の心を解放し結び付けていくということを、まざまざと実感した1週間でした。中国語で準備した「まつり花」「草原情歌」「海は故郷」など、好意を持って迎えられました。
* 旅の楽しみは食事とも言いますが、昼・夕食事に円卓に乗る12皿のお料理・・・1週間、同じものはほとんどありませんでしたし、野菜が中心のメニュウでしたので、たっぷり頂いても負担になりませんでした。
* 旅順要塞だけでなく、柳条湖事件現場そばの9・18記念館(展示は、ほとんど日本語の説明がついています)の見学など、いわゆる加害者側として見るのは辛いものがありましたが、館の出口に「こうした歴史を踏まえて、これから私達に何が出来るのかを考えましょう」と、あったのが印象に残りました。 小川邦美子
とにかく楽しかった!
* 3月に、米山さん・大野さんと下見に行った時は駆け足で廻り、ガイドブックと違って超近代的な街並みに驚きました。が、今回は早朝の朝市を見たり裏通りを歩いたりして、普通の人々の暮らしぶりを見ることが出来て良かったと思いました。
* うたごえ交流を通して感じたことは、歌にしても踊りにしても、同じアジア人とは思えないほど積極的なアピール力に驚きました。
* 通訳の方の説明だったと記憶しているのですが「戦争は国家の問題であって、一般国民には責任は無いという教育を中国ではしている」というのが印象的でした。
* ツアー参加者の方々が、積極的にメモを取るなど意欲的に行動しているのが心に残りました。 岡田桃子
参加者の感想から
今回のツアーの誘いを家人からもらい、どうしようか迷いました。大連についての本を探してみました。日本人学生が
大連や旅順で学生生活を送ったり、学徒動員でひどい目にあったり、戦争反対行動を起こしたり・・・と、むごい記録でし
た。小学校(いや、国民学校2年生の時)の国語の教科書に『ここは、コーリャン畑が一面に続いています』という内容を
覚えています。一度も行ったことの無い中国東北地方を自分の目で見てみようと思いました。
大連のアカシア祭りは、四川省大地震の影響が色濃く反映されていて中国の悲しみが伝わりました。開会式で頂いたT
シャツと帽子は良い記念になりました。
瀋陽については、更に知識がないままに行ってしまいました。「奉天」といった時代の有様を、博物館の展示で再学習した
次第です。が、さらに時代を遡って清朝政府発祥の地であることを知りました。その当時の建造物の素晴らしさに感動し、
通訳の南哲さんの説明がよく分かりました。夜の北陵公園での大衆的なうたごえ交流も感動しました。(日本だと)テレビ
を観ている時間帯に、公園に集まって好きな歌を合唱するというのは、日本人が忘れてしまった喜びではないでしょうか。
私達が『ふるさと』を歌ったときに、一人の少女(幼女)が突然、静かに優雅に踊りだしました。「ふるさと」のメロデ
ィの美しさが、国境が超えたということを実感できた時間でした。私は音痴で自信を持って歌えませんが、このツアーで
歌う楽しさを味わえたようです。最後に私の駄作を一句、「花アカシア 宵の公園 香り増す」 江尻 恵子 さま
ともしびの企画であり、4年前の北京ツアーでも大変感動した旅でしたので、今回も胸をワクワクさせての参加でした。
中日交流ということで、韓団長さんはじめ米山さんのお計らいの元で、普通の観光旅行では経験のできない事を沢山体験
させていただき、大変感激でした! いろいろな場所で歌を通した交流をしました中で、瀋陽での交流は特別印象に残り
ました。省内でも1〜2位を誇るという指揮者の合唱団の練習風景を聴かせていただき、素晴らしいハーモニーに感動の
ため息が出てしまいました。しかし、それにも増して加藤さん小川さんの美声と会の進行は負けず劣らずでした。歌を通
しての交流の素晴らしさに再度感動した旅でした。 蔵方 テイ子 さま
参加理由は、「第19回大連アカシア祭り」を通じ、歌声による日中交流を行いたいというのがメインですが、同時に、
日露戦争の激戦地となった旅順・ロシアと日本の歴史的建造物が残る大連を見たいということもありました。折りしも中
国は四川省大地震で大変な事態にあるため、「アカシア祭り」は大幅に自粛されて歌や踊りはなく、開幕式や晩餐会の参
加にとどまりましたが、大連市中日友好合唱団や大連のうたごえ喫茶での交流は、意義深く楽しいものとなりました。
大連市内・旅順観光では、私の歴史認識を広め深めるものとなりました。市内には、旧大和ホテル・旧日本人街などが残
り、旅順では日露戦争戦跡の203高地・東鶏冠山北保塁など、数万人の死傷者をだした事実を目の当たりにして、平和
への誓いを新たにしました。四川省大地震の中でも、歌声を通して中国の人たちが温かく迎え入れてくれて交流できたこ
と、参加者の皆さんと色々な話ができ満足しました。盛大なアカシア祭りや瀋陽への旅は、又の機会の楽しみにします。 黒澤 弘 さま
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