◆近畿日本ツーリストクラブツーリズム主催ツアー国交正常化30周年記念
日中友好文化観光交流式典



「人民大会堂で歌って祝おう~歌声倶楽部 

 

 

上海・蘇州・北京5日間」


2002年9月20日(金)~23日(月)

 

中国旅行「おのぼりさん」日記 清水正美



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月20日(金)

お昼過ぎに成田空港に集合。
クラブツーリズム歌声クラブからは28人の参加。
中国へいく人でロビーはごったがえし。
元合唱団員の保科さんも参加。
保科さんの荷物がチェックインできない。あとで聞いたら裁縫道具の小さなハサミが「金属探知器」にひっかかってしまったのです。
「女の嗜みがわざわいとなってしまった」と保科さん。
「全部手荷物なので」とチェックをしなかった老ご夫妻がいらして航空券をもらってないとか、添乗員の阿部昌子さんははじめから大変です。
それでも私たちがのる上海行きの飛行機は時間どおりに出発。北京行きの飛行機が到着していない(北京を発っていない)ということで同じ近畿日本ツーリストの参加者が今日中に日本をたてるかどうかわからないということもあり、「発てただけでも幸せ」と阿部さんはほっとしていました。
飛行機の中では、中国人のスチュワーデスの人が無愛想だった。ラトビアへ行ったときもそう思った。日本はにこにこしすぎ?。私も反省しよう。

デジカメ
約3時間後、上海空港に到着。私がデジカメで色々とっていたら、制服をきた男性2人が「ノーフォトー、ノーフォトー」ともの凄い勢いでとんできた。
「ああ、ごめんなさい。ノーフォトーね、オッケー、オッケー」と私はびっくり。
「フィルムは抜かれなかったね」と同行の方から声をかけられましたが、よく見ると「ノーフォトー」と書いてありました。一つ目の失敗です。
上海空港からバスで1時間、上海の中心地につきました。ネオンや町の飾りなどがとにかく華やか。
ところが、次の日昼間、同じ所を通りましたが、華やかな飾りが薄汚れた感じがしてちょっと残念。
食事をすませ外灘夜景を見に行きました。現地ガイドさんから「荷物をしっかり前へかかえること。パスポートを確認して下さい。みやげものを売りつける人など声をかけられても絶対買わないこと」と注意されひとかたまりになって歩き出しました。ものすごい人の数、活気あふれる街。
「これが上海か……」すぐ写真屋さんが来て私たちを写真にとり、明日ホテルにとどけるとのこと。
このパターンは帰りまで続く。写真代だけで1万円はかかった。高いかなとは思うがやはり記念にとつい買ってしまう。
その後、映画「上海バンスキング」でもおなじみ、上海ジャズを聞きに行く。観光客相手の店。あまり演奏はぱっとしなかった様に思う。10時もすぎていて、実はもうねむい。
20分くらいバスに乗ってホテルへ急ぐ。バスから町を見ていた。とにかく人が多い。観光客だけかと思ったら地元の人も多いとのこと。若者だけでなく様々な年代の人が歩いている。車のクラクションもうるさい。クラクションをならされても、人も車も全然平気。堂々と歩いている。新宿や渋谷(夜の渋谷はあまり知らないが)を上回るにぎやかさだと思う。
やっとホテルにつく。ともしびの劇団員で「いのちのバトン」で地方公演をしていた時、よくとまったビジネスホテルという感じ。NHKの衛星放送が入りニュースを見て寝た。

9月21日(土)

午前中は上海市内観光。
前述したとおり、車は多い、自転車も多い、クラクションはしょっちゅう鳴らす。車線を変えるたんびにクラクションを鳴らす。それが全ての車なので大変うるさい。私も少しずつなれる。車の運転はみんな上手い。
車のナンバープレートには「サンズイ」に「戸」という字が書いてある。これは竹でつくった魚を捕る道具で上海のことを意味している。
オペラハウス(つい先日、小澤征爾がタクトを振ったところ)、上海市役所、人民広場、博物館などを車のなかから見る。上海工業センターはロシア風の建物で、まだ社会主義ロシア(ソビエト)をお手本に経済建設を進めていた頃の建物だそうです。
明の時代の大邸宅だった豫園を見学した。

『蘇州夜曲』
昼食は中国の楽器の演奏を聞きながら、蘇州の家庭料理。
午後は『蘇州夜曲』でおなじみ寒山寺を見学。鐘をついた。
蘇州の川を渡る舟の上で『蘇州夜曲』をうたう。船頭さんは「こんな楽しい日本のお客さんははじめて」と大よろこび。

夕方から寝台列車で首都・北京まで14時間の旅。私は阿部さん、現地ガイドの孫さん、もう一人の現地ガイドさんと4人で一部屋。
カーテンはない。2段寝台で上に上がる梯子がない。みんなでどうするのだろうとさがしていたら丁度サルノコシカケというきのこのような、10センチ四方くらいの板が高さ1メートルくらいの所についている。
まさかこれを足場にして登るの?
そのとおり。年輩の方が多いのでどうするのだろうと心配したが、やればみんな出来る。終わってしまえばこれもみんな思い出になる。ちなみに私は下のベッドだった。

9月22日(日)

北京駅を出るのが一苦労。人も多いが団体客のチェックがきびしい。係の人によってかなり違うらしいが、私たちは運悪くきびしい駅員にあたってしまった。個人の切符だけでなく団体用の書類が必要とのこと。それは昨日までの現地ガイドさんがもってるらしい。
えー、どうするの!と思ったが孫さんの奮闘でなんとか改札口をでることが出来た。
午前中は景山公園の見学と買い物。
昼食は四川料理。中国のマナーはおもしろい。大皿で出てくるが少し残すのがマナー。もうたくさんいただきました、満足ですという意味で少し残す。きれいに食べてしまうと「まだ足りない」ということになる。
私たちのテーブルではともしびの団員でもある鈴木孝夫さんが「では残りは私が」ということで全部きれいに食べてしまった。やっとデザートかなと思っていたら、出てくるは出てくるは、さっき食べたようなものが出てくる。
孫さんから理由を聞いてびっくりしてしまいました。
またテーブルの上を食べ散らかすのもOK。「それほどおいしく、夢中で食べました」ということなのです。
夜の「日中国交正常化30周年記念日中友好観光式典」に向かってだんだん緊張が高まってきます。いくつかのグッズをわたされ「この3つがないと人民大会堂には入れません。絶対なくさないように」と添乗員の阿部さんもきびしく注意します。

景山公園
うわさどおり太極拳をやる人、散歩をする人、編み物をしている人(男性の方もいる)大勢の人。どこからかアコーデオンと歌も聞こえる。聞いたことのあるメロディ。
アコーディオンをかこんで20人くらいの輪。模造紙には「草原」とかいてある。
「これは『果てもなき荒野原』だ」ともしびからの参加者は輪に入って一緒に歌ってしまった。でも団体行動を乱すわけにはいかない。早々に引き上げる。数字の楽譜(いわゆるハーモニカの楽譜)。昔のフランスの映画で見たことがあるような風景。
日本の歩行者天国でもできるかしら。
夕食は北京ダックを中心としたメニューです。
私は「なんておいしいんだろう」と食べましたが、ツアーの方から「銀座のどこそこの北京ダックのたれのほうがおいしい」と言われました。
そんなこと言われても、私は日本では「北京ダック」なんて食べたこと無いよ。
人民大会堂に入るのも一苦労。食事をとった場所から歩いて数分の人民大会堂。徒歩で行こうと前まで行ったが、ここからはだめと入れてもらえない。
ぐるっとまわって別の入り口に行ったがそこもだめ。
許可されたバスでないとだめということで、現地ガイドの孫さんの観光会社に頼んでもうすでに式典に参加する人をおろして空になっているバスをまわしてもらって、やっと人民大会堂に入ることができる。
すでに人民大会堂では大勢の人が、チェックをまっている。丁度中秋の明月(日本では名月だが中国ではこう書く)の満月の夜。白い人民大会堂と白い月、あとからあとから集まる人の群。ツアーの人から思わず「おお!」という感動のあまり声がもれる。
しかし実は、この式典はちょっと肩すかしだった。私たちは3階の会場でスクリーンを見ての参加。扇千景大臣が張り切った挨拶をしていたのが印象的。
扇千景大臣はさすがに元女優。表情、身のこなし、演説の間の取り方が実に堂々としていて上手い。

9月23日(月)

北京のホテル 「謝謝」事件
北京のホテルのエレベーターでのこと。私たちのツアーとは違うグループの「日本人ツアー」の一団と同じエレベーターに乗り合わせた。その人たちは盛んに、何階で降りるのかを話し合っている。私が気を利かせてその階のボタンを押してあげた。そしたら、その人たちが降りるとき、私の顔を見て、「謝謝」だって。
私は完全に中国人に間違われてしまったのです。

万里の長城
写真では見て知っていたが、実物を見てその大きさに圧倒される。何万人、何十万人の人が一体何年、何十年かけてどういう方法で作ったのか。そんなことを考えると気が遠くなりそう。大体こんなものを作ろうなんて考えつくなんて人間のやることではない。
だがそれは、日本人の常識。
中国人は今の中国人でも、こういうことを思いつくものなのか。そうであるならば、日本人と中国人とは、単に脳の働きが違うのではなく、脳を作っている物質が本質的に違う。

紫禁城見学
庭の石は煉瓦のような石が縦、横15層に埋められている。
敵が地面を掘って地下から攻めてきても絶対に入れないようにするため。
権力争いが如何に熾烈であったか。そしてそれに対抗して、敵がいかなる手段で権力を狙ってきても、絶対に守り通してみせる、という権力に対する執着のすごさ。

この日は30度の暑さ。持病の頭痛が出てきた。今日が一番大切な日なのに。

いよいよ人民大会堂に行く。近畿日本ツーリスト、クラブツーリズム主催の「大夜会」が始まる。ここで歌声参加者のみなさんと「川の流れのように」「昴」「北国の春」を歌うのが私の仕事。このための中国ツアーです。リハーサルを終えていよいよ「大夜会」が始まる。赤旗の北京特派員の小寺さんが取材に来てくれた。小寺さんとは10年以上前に俵万智さんの話題作「サラダ記念日」をどう思うかという取材をうけてからのおつきあいです。小寺さんにたのまれて淡谷のりこさんのテレビ番組の感想が赤旗に載ったこともあります。
小寺さんが北京にいるというのを聞いて、事前に連絡をしておいたのです。
この日の小寺さんの記事が9月25日の赤旗に載りました。写真入りであんなに大きく取り上げられるのは異例だということです。阿部さんもこの記事は大変喜んでくれました。
私のテーブルはクラブツーリズムのいくつかのサークルの皆さんとご一緒です。

価値観の違い
ふと「もう日本は駄目ね」と言う会話が耳に飛び込んで来ました。そのグループでは、ものが溢れていても豊かで幸福であるとは限らない。と言うことを盛んに話していた。
私は「日本は駄目」とは思いませんが、万里の長城をはじめ中国の風物を見、町や公園や市場で中国の人たちのふるまいを目の当たりにすると、日本と中国の民族の価値観の違いをいろいろ考えさせられて、日本や日本での生活が必要のないことに空騒ぎをしているように思われて、そのグループの方たちの会話にうなずけるものがありました。
近畿日本ツーリスト社長のあいさつ、子供たちの歌と踊りのアトラクションなどが、ステージで次々と展開されていきます。ステージは遙かに遠く。クラブツーリズム二千人、中国の学生たち五百人、計二千五百人の参加者です。
いよいよ私たちの出演。
そして全員合唱で宴も終わりになるのです。
多少の緊張は有りましたが、ステージに上がって「みなさん、今晩は。中国はいかがですか」としゃべったとたんに落ち着きました。
社長さんが歌が大好きと聞いていたので、社長さんにもステージに上がっていただき、会場全員大合唱になりました。
担当の方にも喜んでいただきました。孫さんも「私は皆さんがステージで歌っているのをみて本当に感動しました。みなさん見て下さい、いま歌っている人たちは私のお客様たちです、と言いたかった。本当に誇り高い気持ちです。最高のお客様です」と興奮を抑えきれない様子。
まあまあだったでしょうか。
しかしさすがに疲れました。大夜会が終わって「足裏マッサージ」に行こうという皆さんもいたのですが、私はもうその元気もありませんでした。

次のステージ
明日はもう日本、合唱団のコンサートはどうだっただろうか、急に心配になりました。9月22日は私が指導をしている「ともしび合唱団」の発表会だったのです。
発表会にぶつかっているにもかかわらず、私を中国に行かせてくれた合唱団の人たちに「謝謝」。
発表会での指揮は器楽合奏講座の山岡さんに身代わりを頼んで、合唱団には「指揮は山岡さんがやってくれるから」と了承を得て来たのです。
その山岡さんの指揮を見て、お客さんの一人が誉めることしきり。あぁ悔しい。
それがキッカケになって、日本の歌声の東京都大会の指揮も山岡さんがやることになり、それが2位入賞。
九州・福岡の全国大会にも出場することになり、行きがかり上、それも山岡さんが指揮をすることになり、ぼやくこと、ぼやくこと、でも満更でもないんじゃないかな。こうしてドラマは次のステージに進むのです。

(月刊ともしび11月号より)