海外ツアーリスト

 

第2回 ロシア ハバロフスクで歌声喫茶


2006年 9月25日(月)~29日(金)

寺谷宏 岡田桃子 同行

参加者 30名様

 

●音楽家ジバエードフさんとアムールの音楽家の方々を迎えハバロフスクで第二回うたごえ喫茶を行います。

●アムール河の船上でロシア民謡を一緒にうたいます。

●ハバロフスク郊外ダーチャ(家庭菜園)を見学。家庭料理を楽しみながら交流します。

●ロシア料理を楽しみながら、アンサンブルの演奏を聴き、交流します。

 

 

 


第2回ロシアうたごえツアー


「ハバロフスクでうたごえ喫茶・黄金の秋」報告記

 

                   歌手・司会者  寺谷 宏

 

 9月下旬、今回は秋となった二度目の「ハバロフスクうたごえツアー」(9月25日~9月29日)。総勢30名のうたごえ一行を、我が友ジバエードフ一家とその友人、音楽家仲間たちは、熱く迎え入れてくれた。後ほど詳しく報告するが、今回のツアーも一つのきっかけとなり、ハバロフスクで年に四回うたごえの集いをやろうではないかという声がついに上がりはじめた。実り多い旅であった。

 

9月25日(第一日)


九州をはじめ全国から新潟空港に集合、「全員無事に出発」と思うまもなく日本海を超え(2時間)、眼下に懐かしい風景が広がる。冬の厳しさを想像させる山々、大森林、沼沢地。そして、大河アムールとその支流。着陸直前にハバロフスク市街上空を飛ぶので、教会や団地、レーニン広場も手に取るように見えた。
降り立つと、そこかしこに夏の火照りが残っているようなロシアの秋だった。「テラタニサーン!」変わりのないジバエードフの声と満面の笑み。今回のガイドは、千葉で囲碁の研鑽を積んだという秀才で、アントンと名乗った。

 ホテルでの夜食にジバエードフの息子ステファンも付き合ってくれた。はじめてともしびの店を訪れたときは14才の少年だったが、今は185?を超える美丈夫。父親の薦める音楽学校を辞め、酒屋でアルバイトをしながら夜間学校に通う。「君の夢は?」「焦って道を決めることはない。いろんなことをやってみろ」日本のお父さん達の若者を見つめる目は熱かった。

 

9月25日(第二日)


おいしい野菜に舌鼓を打ちながらの朝食後、バスで市内を巡る。石油・天然ガスを背景としたロシア好景気は極東ハバロフスク市にも食指をのばし、地価は上昇中。各所で道を掘り起こし、ビルを建てていた。市の北にある市民市場を訪ねると、ロシア系・朝鮮系・ブリアート系など思い思いに手作り野菜や日用雑貨・衣類を商い、活気はあったものの、いわゆる「ロシア好景気」と結びついているようには見えなかった。片言でトマトとナッツ、チーズを買う。

 昼食前に、アムール河を見下ろす丘「ウチョース」(「巌《いわお》」の意)でロシア「歌い初(ぞ)め」。「この場所で歌うことをずっと夢に見ていたんだよ。」とKさん。「カチューシャ」「アムール河の波」桃ちゃん(ピアニスト岡田桃子)の紡ぎ出すアコーディオンの音色に、皆気持ちよく歌う。居合わせたロシア市民も声を合わせる。上の方から声が聞こえると思ったら、ペンキ塗りの最中の男性がにっこりと笑みを返してくれた。
近くの郷土史博物館も訪ねる。ロシア・中国・日本と支配者・占領者が変わりつつも数千年前からナナイ人をはじめとする少数民族の営みがあったこと、シベリアンタイガーに代表される世界的に貴重な自然が残されていること、その自然が人間の経済活動により危機にさらされていることなどが、示されていた。
日本軍の「シベリア出兵」(ロシア革命期の混乱に乗じた侵略行為が一四カ国により行われた。シベリア出兵はその一つ)の写真も展示されていた。そういえば、当時を舞台とした祖国防衛の映画のテーマ曲として使われていたのが「アムール河の波」であった。

 ここで皆と別れて、岡田さんとふたり、夜の演奏交流会の準備に入る。昨年もお世話になった国立極東美術館を借り切っての贅沢な交流会だ。演奏場所に着くと繊細なピアノの音。昨秋来日の際にともしびにも来てくれたピアニストのブードニコフ氏だ。日本人二人と「浜辺の歌」「早春賦」を練習していた。「ともしびからやってきました」と自己紹介すると、「やあ、うたごえ喫茶。懐かしい!」ハバロフスク日本センター所長の前田さんと日本語講師の篠原さんとおっしゃった。しばらく「うたごえ喫茶談義」。「妻と出会った頃通っていたんですよ」「今はどうですか」
同センターは、ハバロフスクを中心とする日本とロシアの文化交流を目的とした団体で、今はテニスを通じた交流が三年目を迎え、大成功とのこと。「年に四回くらいうたごえの集いを持ち、その内の一回は日本・ロシアで行き来するというのもいいね」というところまで話が盛り上がった。うたごえ喫茶の輪が拡がる。是非とも応援したい。演奏を前に、はやる心を抑えるのに精一杯だった。

 定刻より少し遅れて開演。ズドラーストヴイチェ!プリアートナ パズナコーミツァ(はじめまして)!ミニャーザブート(私の名は)必要最小限のロシア語を駆使し、歌い始める。「愛の喜び」「黒い瞳」「秋の月」(滝 廉太郎)「貝殻節」秋そして、愛。秋のロシアを訪れて心に浮かぶ曲を続ける。桃ちゃんのノクターン(ショパン)も好評。控え室でブードニコフ(ピアノ)・コンドラーチェワ女史(チェロ)も心地よさそうに身体を揺らす。
あまりの盛り上がりに休憩無しで続けようと呼び掛けるやいなや、ジバエードフを含むコザック合唱団総勢14名が踊りながら登場。ともかくエネルギッシュで、楽しく、コーラスは美しく、一同は引き込まれた。ともに歌ったり、手をたたいたり、踊ったり。ハバロフスク日本センターチームの日本歌曲も好評。近々結婚のツアー参加者Mさんは、自ら「黒い瞳の」を熱唱、皆にしあわせのお裾分けをしてくれた。ジバエードフはロシア民謡に、「ボリス・ゴドノフ」(チャイコフスキーの国民的オペラ作品)の一節も披露。コンドラーチェワにブードニコフは、桃ちゃんへの返礼かショパンの小品を演奏してくれた。端正な美しい音だった。交流会が終わりに近づき、ジバエードフと二人、昨秋「音楽の友ホール」で共演したロッシーニの「猫」を共演。蠱惑(こわく)的な「コンドラーチェワ猫」を争う2匹の猫を演じた。
もちろん最後は、ロシア民謡の大合唱(日本語にロシア語)。はじめて会った同士が心を合わせる音楽の不思議な力。ぜひともハバロフスクでのうたごえの集いを応援したい。演奏交流の火照りを冷ますように、トラム(市電)の駅までしばし歩く。トラムの中でも若者から親しげに声を掛けられた。モスクワとは違い、人がゆったりしているように感じるのは演奏交流会の興奮冷めやらぬゆえか。

 

9月27日(第三日)


この日は大河アムールの中洲にあるダーチャ(家庭菜園)を訪ねる日で、弁当を持って早朝ホテルを出発、深い霧の中船着き場に向かう。ジバエードフ、ブードニコフらが家族を連れて待っていてくれた。コーヒーで体を温めていると、霧で出航が遅れるとの知らせ。結局6時間(!)待つ羽目になったのだが、実はここで素敵な出会いがあった。
船待ちのロシア人達は一言も不平を言わず、冷たい霧の中辛抱強く待っていた。これが日本だったら大騒ぎ。「もっと分かり易くアナウンスしろっ!」「運行管理部の予報はどうなっているんだっ!」やはり、大いなる自然を相手にしていると、ある意味「腹が据わる」のだろうか。のんびりとかまえている。「桃ちゃん、アコやろう!」待合いのスペースにカチューシャが流れるや、遠巻きに私たち一行を眺めていた人々が一瞬にして破顔。手を振り上げて歌い始めた。「ステンカラージン」「小さいグミの木」用意していたロシア語併記の「国際歌集(自家製)」を渡すとリクエストも出始めた。コーラスも自然に付くし、歌詞も見ないで4番、5番まで歌っている。気付いたらおそらく5,60人の人達が取り巻いていた。休憩をとると、近くにいた女性が三人がかりで桃ちゃんの肩と腕をもんでいた。
やがて船は出航。冷えた身体をウォッカで温めると、再び川風に吹かれながら船上うたごえ。二階席で歌っていると、一階から人が上がってきた。犬も上がってきた。国際歌集は飛び交い、踊りも出るし、肩も組み合う。歌の合間には、ツアー参加の方々と気の置けない会話も。「どこから来たんだ」「あんた、俺と同い年ぐらいだろうけど、日本人は年金いくらくらいもらってるんだ。俺は、夫婦二人、一月に一万七千円で暮らしてるぜ」「やっぱり、平和(ミール)だ。平和(ミール)に乾杯だ」おそらく少年期に世界大戦を経験しただろうその男性は別れ際に言った。

 ダーチャは、色とりどりの花で一行を迎えてくれた。カリンカの実に、野生の梨グルーシィ。ベリー類もたっぷり。ただふかしただけのジャガイモ、もいだだけのトマトがうまい!シャシリク(串焼き)の豚肉、鶏肉の味が身体に染み渡る。畑の中に10メートルほどの長テーブルを作っての宴。ダ・ヴィンチの宗教画を思い起こす。
やがて、ホストファミリーのかわいい家族合唱団が登場。Kさんの誕生日祝いに、ジバエードフの長女夫婦の結婚記念日のお祝いも。空が抜けるように青かった。

 戻りの船の中でもうたごえ交流を堪能。ロシア人の「もっと歌おうぜ」の声を後に、美しい夕映えの中ハバロフスク市街に戻る。「まごころ」という名のレストランで夕食を摂る。ボルシチ、ペルメニ(ロシア風水餃子)など家庭料理を楽しむ。隣のテーブルが何かお祝いで歌っていたので、いたずら心を起こし、アコーディオンをケースから出すと、「ウラー!(やったー!ばんざい!)」の声が湧き起こる。「灯」「モスクワ郊外の夕べ」と店中で歌っていると、三曲目でマネージャーに怒られてしまった。「旅の何とやら」といった次第。

 

9月28日(第四日)


この日は自由行動。アイスクリーム(めっぽううまい!)を食べながら市内をぶらぶらと楽しんだ方もいたし、数千年前からこの厳しい自然の中暮らしてきたナナイ人の村を訪ねた方々もいた。
私は「ナナイ組」。この9月に出したCD「黒い瞳 平和とロマンを歌う 寺谷 宏」のジャケット写真に写ってくれた子どもたちに再会しに行った。厳しい自然を象徴する神熊。その中を生き抜く人々の絆の深さ。昨年と変わらずにりりしい子どもたちの踊りだった。指導していた中学校の先生から日本の友人へと手紙を言付(ことづ)かった。この人達とも、もっと交流を持ちたいという気持ちが一気に湧き上がる。同じ言葉を話す人々が地球上に僅か一万七千人。言葉が消えると文化も消える。文化を守り、伝え、広めるために彼らが作ったのは、研究・展示のための文化センター、漁労だけに頼らずに観光でも収入を確保できるようにとのレストラン付きの美術館とバザール、そして、最も力を入れたのが子どもたちに誇りを持って文化の担い手になってもらうための中学校だった。
子どもたちの歌、そして、その子どもたちを、目を細めて見守る90才の老女の歌に聴き入るツアー参加者の皆の顔はとても真剣だった。いつかまた会おう。心の中で密かに誓う。

 黄金色のタイガ(シベリアの大森林)の中、市街に戻る。ツアーの打ち上げ会場のレストラン「ルースキィ」に入る。
最後の夜だ。ガイドのアントンも「若い人はロシア民謡はあまり歌わないんです。でも、こんなに皆さん歌を大事にしていて、とても楽しかったです」と一緒に歌った。ジバエードフも、飛び入りのバイオリン弾きも、民族アンサンブルの面々も、30人のツアーの仲間も、いっぱい歌った、踊った。レストランのスタッフも笑いながら給仕している。
「こんなに心のこもった歓迎を受けるとは思っていなかった」「はじめての一人旅だったが、こんなに素敵な旅になるなんて」励まされる感想を聞きながら、改めて思う。ロシアの友人達のおかげだ。ボリショイ スパシーバ!(ほんとうにありがとう)

 今回の旅を蔭で支えたジバエードフ夫人有川さんにスピーチを求めると、固辞しながらも一言。「私の大好きな極東ロシアの大自然。中国の化学工場の事故に代表されるように、今急速に汚染が進んでいる。ナナイ人の漁労生活も成り立たないくらいに。国を越えて取り組まなくては止まりません。抗議の声を大きくあげることだと思います」
そう、詳しい方に伺うと、アムール河の汚染により最も影響を受けるのは日本人といわれている。日本人の食するさけ・ますの多くは、アムール河由来とのこと。否が応でも極東の国々は互いに深く結びついているのだ。その深く結ばれた狭い地域に中国・ロシア・北朝鮮・韓国・日本が、そして、アメリカが大量の武器を持って対峙している。ことは環境だけではない。ささやかではあっても、とぎれることのない交流を。


9月29日(最終日)


惜しむように朝の2時間、市内を散策。そして、空港に向かう前に日本人墓地を訪ねる。献花。焼香する方もいた。「ふるさと」を歌う。震える声。
やがて、空港。出国手続きをする間、親しげに声をかけてくるロシア人。一見してツアー客と分かるのだろう、「楽しみましたか」と微笑みかけてくる。気さくだ。自分の育った九州の漁村を思い出す。必ず分かり合える。そんな思いを胸に帰路についた。

 

 今回で二度目となったロシアうたごえツアー「ハバロフスクでうたごえ喫茶」は、彼の地でもうたごえの集いをとの声を招く実り多いものとなりました。この場を借りて、ジバエードフ夫妻とその友人方をはじめとするロシアの人々の友情に感謝申し上げます。また、自らのこととしてうたごえの輪を広げてくださった、ツアー参加者の皆様(第一回目の方も含め)、物心両面で応援してくださったともしびファンの皆様に心より感謝申し上げます。必ずこの蒔かれた種を実のあるものにします。